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2013年8月3日土曜日

Kyodo-Press made up their fantasy






Japan's Minister of Finance(and also DeputyPrime Minister)Taro Aso has mentioned on changing the japanese constitution on July 29th 2013.

(日本の財務大臣兼副総理の麻生太郎氏が7月29日に憲法改正について言及しました)


He lectured that Nazi has rised under the rule of Weimar Constitution(one of the most democratic constitution of that time) and changed the constitution legaly.Aso also said that japan should not change the constitution in a fanatic atmosphere.He said that we have to learn from the history and should not follow the way Nazi has done. 

(彼はナチスが、当時最も民主的と謳われたワイマ-ル憲法下で政権を取り、憲法を改正したことを引き合いに出し、熱狂の中での改正に反対し、我々は歴史に学んでこれを真似てはいけないと言った。)


But the japanese media(Kyodo-Press) anounced to the world as if Aso said"We have to learn from the history and follw the way Natis has done."

(しかし日本の共同通信は麻生氏が「我々は歴史に学んでこれを真似よう」と発言したと世界へ発信した)


Every media has their own perspectives to announce news,but this announcement by the Kyodo-Press is completely reversed from what Aso has mentioned.Kyodo-Press is known to be against Abe's cabinet,but this is too much.Kyodo-Press's faked announcement hurt many of the Jewish people and made them angry at Aso as Kyodo planned.This act of Kyodo is a challenge to the rule of fare journalism.

(全てのメディアはそれぞれの視点で報道するものですが、いかに共同通信が反・安倍政権の姿勢をとっているとは言え、氏の発言を完全に逆転させて報じるのは度を越えています。結果として時事通信が望んだとおり、多くのユダヤ人を傷つけ、激怒させました。これはもはやジャ-ナリズムへの挑戦です。)


 Read for yourself what Aso has mentioned.The english translation below is a summary(since it is so long)and if you don't trust my english translation, you may ask someone who could understand japanese and let him(or her)translate to you.You can tell that his word"follow the way Nazi has done"was an irony to the media that are always roaring and spoling Abe and Aso's discussion.

You can tell how Kyodo-Press made up their fantasy.

(以下に麻生発言の要約を載せます。長いため、要約していますが、気になる方は知人で日本語の出来る方に確認して貰ってください。「ナチを見習え」という発言が、常に安倍・麻生氏の足を引っ張ることしか考えないメディアに対する皮肉であることが伺えるでしょう。

こうやって共同通信はファンタシ-を作るのです。


元情報:http://tinyurl.com/m2gmxph



…………………………………

麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細

2013年8月1日2時18分 朝日新聞

僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。
ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。

そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。 
常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが、その上で、どう運営していくかは、かかって皆さん方が投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持(きょうじ)であったり、そうしたものが最終的に決めていく。 

私どもは、周りに置かれている状況は、極めて厳しい状況になっていると認識していますから、それなりに予算で対応しておりますし、事実、若い人の意識は、今回の世論調査でも、20代、30代の方が、極めて前向き。一番足りないのは50代、60代。ここに一番多いけど。
ここが一番問題なんです。私らから言ったら。なんとなくいい思いをした世代。
バブルの時代でいい思いをした世代が、ところが、今の20代、30代は、バブルでいい思いなんて一つもしていないですから。
記憶あるときから就職難。記憶のあるときから不況ですよ。

この人たちの方が、よほどしゃべっていて現実的。50代、60代、一番頼りないと思う。しゃべっていて。
おれたちの世代になると、戦前、戦後の不況を知っているから、結構しゃべる。しかし、そうじゃない。

しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。
きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。
そういった思いが、我々にある。

そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。
『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。
何回か参加してそう思いました。

ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。 

靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。
静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。

何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。
日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。

僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。
それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。

昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。
騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。
憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。 

わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。 
ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。 

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2012年9月22日土曜日

50 years after would, in China's thinking.



This map shows the 50 years after would, in China's thinking. 
 この地図は、中国が想定している50年後の未来です。

The Japanese islands are geographically obstructive for China to go into the Pacific. 
中国が太平洋に進出するには、地政学的にも日本の存在自体が邪魔なのである。 

The Map of the Pacific Ocean from the View of China Land.
太平洋を中国大陸側からみた地図。

The affair of "SENKAKU" are just starting of their invasion. 
尖閣諸島問題は始まりにすぎません。

Republic of China(RPC) targets are not only "SENKAKU" but Okinawa prefecture, as well. 
彼らは尖閣諸島だけではなく、沖縄も狙っている。

Finally, RPC aims to get whole the Japanese islands. 
最終的には日本全土を手に入れようと画策しています。 



In 1993, Li Peng, the Prime Mimister of China at that time, said "The nation of Japan will disappear after 20 years." in the talk with Paul John Keating, the Prime Mimister of Australia. 
1993年、当時の中国の首相 李鵬はオーストラリア のポール・キーティング首相と会談した際に「日本などという国は20年後には消えてなくなる」と発言している。

This is a map which was used in the "Against Japan Demonstration" in China. 
In this map, the whole Japanese islands were designated as a part of China.
反日デモで掲げられた横断幕。日本も中国の一部になっている。



There are many RPC's spies are in Japan, already. 
日本国内には既に大勢の中国のスパイがいます。 

 Japanese media of information are already under the control of RPC, and are broadcasting the propaganda of the RPC. 
日本のメディアは既に乗っ取られ、中国の宣伝ばかりしています。

Most of Japanese are deceived by the media of information. 
日本人の多くはマスコミに騙されています。 

The Japanese media urged many Japanese to vote the "Democratic Party of Japan(DPJ)". After that, DPgot political power. 
そのマスメディアの誘導で、日本の民主党政権は誕生しました。 

DPJ is the group of the communists, and is spy party of the RPC. 
民主党は共産主義者の集まりで、中国のスパイ政党です。 

Now, Japan is in very dangerous situation.  
日本は非常に危険な状態です。







2012年9月19日水曜日

What was the China's purpose of demonstration of the anti-Japan.




 While Chinese people are cursing and swearing Japan, Chinese government is safe.
Chinese false propaganda is still ongoing. 






2012年9月17日月曜日

"The 228 Massacre” and "Nanking Massacre"


英語で世界に発信!UndertakerRachのコピペでGO! より転載
from: http://undertakerrach.gouketu.com/anti.html

”The 228 Massacre” and ”Nanking Massacre”

「228事件」と「南京大虐殺」


The 228 Massacre was an anti-government uprising in Taiwan that began on February 27, 1947 and was violently suppressed by the ROC Kuomintang (KMT) government. Before the 228 massacre was broke out, the mood of the crowd, which had already been harboring many feelings of frustration from KMT rule, reached breaking point. The ROC garrison troops who came from mainland China were highly undisciplined, looting, stealing, and contributing to the overall breakdown of infrastructure and public services.

228事件は1947年2月27日に台湾で起きた、中国国民党の非道な人民弾圧虐殺事件である。国民党政府の暴力的行為により、人民が強制排除されたこの事件が起きる前、人民には国民党政府に大きな不満を抱いていた。中国から来たこの中華民国の軍人らはモラルが低く強奪や窃盗などを働き、それらの不満が国民一般に火がついたと言ってもいいだろう。


Estimates of the number of deaths vary from ten thousand to thirty thousand or more. According to the New York Times on March 29, 1947, an American said, “Troops from China arrived at Taiwan on March 7 and indulged in three days of indiscriminate killing and looting. For a time everyone seen on the streets was shot at, homes were broken into and occupants killed. In the poorer sections the streets were said to have been littered with dead.

この事件の死者は1万人とも、3万人とも言われている。ニューヨークタイムズ紙1947年3月29日に掲載された記事にアメリカ人のコメントがある。彼曰く、「3月7日に中国本土から派遣された軍が台湾に着いた。彼らは欲望の赴くまま、たった3日間のうちに無差別殺人をし、強奪をし、通りでは大勢の人が射殺され、各家庭にも押し入り住民は殺されていた。貧しい地区の通りでは、死体で埋め尽くされていたほどだ。


There were instances of beheadings and mutilation of bodies, and women were raped.” This is the Chinese inherent characteristics. The Nanking Massacre might have been have caused by KMT soldiers. In fact, R.J Rummel claims that Chinese peasants often had no less to fear from their own soldiers than they did from the Japanese. Moreover, KMT soldiers in the Nanking castle in their mad rush to discard their military uniforms and put on civilian clothes. 

それらの体は首や手などを切られ、女性はレイプされていた。」これが中国人の性格である南京大虐殺はこういった性格を持つ彼らの仕業である可能性もある。事実、ルンメイ氏はこう述べている。「中国の農民は日本軍より自分たちの軍人の方を恐れていた。」と。


In a number of incidents, killed civilians to obtain their clothing in Nanking city in 1937 before the Japanese troops entered to the Nanking castle. James Espy, the vice American Council at Nanking, reported to the American Embassy. 

またアメリカ大使館のジェームズヱスビー氏はこう書き残している。「南京城内にいた中国国民党軍は1937年、日本軍が入城する前には大パニックに陥っていた。彼らはまるで泡食ったように、彼らの制服を脱ぎ捨て人民から衣服を奪うために、人殺しまでもが行われたのだ。」


■Go back to the 228 massacre story, Chen Yi, the ROC authorities, had jailed or killed all the leading Taiwanese organizers he could identify and catch. His troops executed between 3,000 and 4,000 people

話を228事件に戻そう。Chen Yiは台湾で強奪やレイプを働いた軍の指揮官だった。彼は台湾関係機関により発見され、投獄されるか、死刑に処せられるかという立場だった。彼の部隊は3000人から4000人もの人間を殺した。


Chen Yi was later quoted by TIME magazine in April 7, 1947 as saying: "It took the Japs 51 years to dominate this island. I expect to take about five years to re-educate the people so they will be happier with Chinese administration." This fact shows they were mind controlled by the Chinese government?

彼は1947年4月7日発行のタイムマガジンにこう話していたことが掲載されている。「51年もの間、ジャップにこの国は犯され続けてきた。私は5年でこの台湾人を再教育する必要があると思った。中国行政によって彼らが幸せな生活を取り戻すためなのだ。」この事実は中国政府による洗脳の結果でもあるとは思わないか?


The Nanking Massacre was a fake story. In fact, Chinese school kids have learned anti-Japanese education.

南京大虐殺は洗脳のために作られた嘘の話でもあるのだ。事実、中国の子供達は反日教育を今日も受け続けている。


Chinese Government Press Onward with Anti-Japanese Policy in Schools


英語で世界に発信!UndertakerRachのコピペでGO! より転載
from: http://undertakerrach.gouketu.com/anti.html
中国政府の反日教育
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“China's Textbooks Twist and Omit History.“ By Howard W. French. New York Times on December 5, 2004. 
中国の教科書は、史実の歪曲や削除だらけだ。2004年12月5日付のニューヨークタームズ紙 


“China's Textbooks Twist and Omit History" by Howard W. French. New York Times on December 5, 2004.

Most Chinese students finish high school convinced that their country has fought wars only in self-defense, never aggressively or in conquest, despite the People's Liberation Army's invasion of Tibet in 1950 and the ill-fated war with Vietnam in 1979, to take two examples. Similarly, many believe that Japan was defeated largely as a result of Chinese resistance, not by the United States.


中国の教科書は歪曲と削除だらけだハワードフレンチ ニューヨークタイムズ2004年12月5日

ほとんどの中国の学生は、中国が今までの戦争は決して攻撃的なものなどではなく、国家防衛のためだけに戦争をしてきたと教えられ納得して卒業していく。1950年に中国軍はチベット侵攻し、1979年のベトナム戦争にも中国は介入してきたにもかかわらずだ。同じように、日本が敗戦した理由は中国人民の抵抗の結果であり、アメリカ合衆国によるものではないと教わっている。


■According the NYT, a teacher said a blistering pace, during a lecture on China's relations with the world from 1929 to 1939 in one of this country's, Japan decided to pursue its own longtime desire for a continental empire, and attacked China. I heard teachers have used 1937 pictures which showed the fake of Nanking Massacre.
That’s why what Chinese people in youtube said were so one-sided.

ニューヨークタイムズによると、中国の歴史教師は、熱狂的な様相を持って1929年から1939年に起きた中国での歴史を教えている。教師は日本が長年の欲望であった帝国の大陸侵略を果たしたと説明し、日本はそのために中国を攻撃した教えている。私が聞いた話では1937年の写真、いわゆる南京大虐殺の偽造写真を使って授業を行っていると聞く。
だからYutubeの中国人達は非常に一方的な話ばかりをするのだ。

Chinese government has taught wrong history to school kids. The fundamental reason for that is the Chinese Communist Party became the core power that united the nation. For these reasons, no one learns that 30 million people died from famine because of catastrophic decisions made in the 1950's, during the Great Leap Forward, by the founder of Communist China, Mao Zedong and the 1989 protests in Tiananmen Square. Can we call this mind controlled? I think YES

中国政府は子供達に間違った歴史を教えている。その根幹となる理由は中国のような他部族集合国家では、共産党政権に力を集約することがよいとされているからである。これらの理由により、その権力基盤が揺らぐような1950年代の約30万人が餓死した毛沢東による大失敗政策、文化大革命や、1989年の天安門民主主義運動などは、誰も教えられていないのである。これを洗脳と呼べると思うか?私は洗脳だと思う。

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■ Teachers have taught anti-Japanese sentiment using the Nanking Massacre to kids in schools. Some historians and politicians have found the answers why China needs the anti-Japanese policy and what the purpose of that is. Here are these reasons. The first reasons of starting the anti-Japanese policy was for hiding Tibet and Uighur human right problems in China from people. The second reason is the Chinese government is afraid of occurring the 2nd Tiananmen Massacre.

学校の先生は、南京大虐殺を使い反日教育を子供達に施している。歴史家や政治家達は何故中国がこのような反日政策を採り続けるのか、その目的について3つの理由があると述べている。最初に、反日教育によって中国で起きているチベット及びウイグル自治区での人権蹂躙問題から、中国国民を遠ざける目的がある。2つ目の理由として、政府が民主化運動であった天安門事件が、また起きることを恐れている。


 Finally, Chinese government fears some districts will be independent from China. While Chinese people are cursing and swearing Japan, Chinese government is safe. Look at Chinese people, who took part in an anti Japanese demonstration, don't you feel something strange? Think about the Nanking Massacre which had been insisted on its happening more than seventy years ago, but this is not even clearly defined. They haven’t learned right history in China. They are victims of dictator country. 

3つ目は中国の地方が独立することを嫌っているからである。中国人が日本をののしり続けている間は、中国政府は安泰なのである。日本糾弾のデモに加わっている中国人らの行動をよく見てみると良い。何かおかしいと思うはずだ。南京大虐殺と言われるものは、かれこれ70年前に起きたことであり、しかも細部は不明な点が多いのだ。彼らは正しい歴史を習ってなどいない。彼らも独裁政治中国の犠牲者である。


■ In war story, acts of abominable cruelty happened in every county. The My Lai Massacre was the mass murder conducted by a unit of the U.S. Army on March 16, 1968 of 347 to 504 unarmed citizens in South Vietnam, all of whom were civilians and a majority of whom were women, children (including babies) and elderly people. Lai Daihan are people born to a South Korean father and a Vietnamese mother during the Vietnam War.

戦史においては虐殺行為は世界中で数多く見つけることができる。My Lai Massacreは1968年3月16日にベトナムで起きたアメリカ陸軍の虐殺行為である。347名から504名の非武装民間人が殺され、その中には女性や子供老人がいた。ライダイハンと呼ばれる人々は、ベトナム戦争中に韓国軍兵士とベトナム人女性の間に生まれた混血児のことである。

The 228 Massacre was an anti-government uprising in Taiwan that began on February 27, 1947, and was violently suppressed by the Kuomintang (KMT) government. Estimates of the number of deaths vary from ten thousand to thirty thousand or more, and Tibet and Uygure problems are the same. Why is the CCP loudly denouncing the 'Nanking Massacre' when then had insisted on it happening more than seventy years ago, but it is not even clearly defined? 

1947年2月27日には台湾において228事件が起きている。中国国民党軍により武力弾圧され、1万から3万という台湾人が殺された。チベット、ウイグルでも同じである。それなのに何故中国は、南京大虐殺にのみ大声で糾弾しているのだろう? しかもそれは70年も前に起きたもので、十分な証拠に裏付けられているものでもないのだ。


Chinese government has a reason why they need a Japanese atrocity in China. The fundamental reason for that is the Chinese Communist Party became the core power that united the nation. For getting the core power, the government has taught anti-Japanese education to school kids, and tried to band Chinese people together strongly.

中国政府には、どうしても日本軍による蛮行が必要なのである。その根幹となる理由は、まさに複合型国家中国において、中国共産党がすべてを統括する力が必要だと考えられているからである。その権力集中のために、学校で反日教育を行い中国人の結束を固めているのである。




While Chinese people are cursing and swearing Japan,
 Chinese government is safe.



2012年8月26日日曜日

慰安婦問題 その捏造と拡散

“慰安婦性奴隷説”を言い出したのは職業的反日日本人の男 

2012.08.15 16:00

 慰安婦問題が広く知られるようになって20年以上が過ぎた。第2次世界大戦時、日本軍が慰安婦を強制連行したとの「説」はその後の調査研究によって、事実ではないと結論が出た。しかし、残念なことに、勉強不足から慰安婦問題については韓国側の主張が「正しい」と信じている日本人も少なくない。

東京基督教大学教授の西岡力氏が慰安婦問題の捏造について語る。ここでは慰安婦性奴隷説について解説する。

 * * *

 慰安婦性奴隷説を最初に言い出したのは誰かという点から確認したい。それは吉田清治という職業的反日日本人だった。韓国から出た話ではないのだ。

 1948年に就任した韓国の初代大統領は独立運動家出身の李承晩博士だった。李政権は日本と国交正常化交渉を持った。その際、出来るだけ多額の戦後補償金を日本から取ろうとさまざまな名目で請求した。そのリストが8項目の「対日請求要綱」(1951年)だった。

 そこには「戦争による被徴用者への補償金」は挙げられていたが、慰安婦に対する補償は入っていなかった。大多数の韓国人が植民地時代の実態を知っているその時期には、いくら反日政策を掲げる李承晩政権でも、慰安婦に関して外交交渉でカネを取るなどということは考えなかったのだ。

 性奴隷説は1965年の日韓国交正常化のときも出てこなかった。1983年に吉田清治が『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房刊)という本を出して初めて性奴隷説が誕生する。吉田は1943年に軍から朝鮮人女子挺身隊動員を命令され、済州島で日本軍人らを引率し、若い未婚女性や赤ん坊を抱いた母親を駆り立ててあたりかまわずトラックで連行し、レイプしたという「体験」を語ったのだ。吉田の著書は1989年に韓国語で翻訳出版された。

 実は現地の『済州新聞』の女性記者が現場を取材したところ、住民らが口をそろえてそのようなことはなかった、吉田は嘘をついていると語っていると1989814日同紙に書いている。しかし、済州新聞の記事はほとんど注目を集めず、日韓の歴史学者や反日運動家らの中で性奴隷説が静かに拡散していった。これが前史だ。
※SAPIO201282229日号


終戦後の1947年(昭和22年)に、日本共産党から立候補。落選。
1977年(昭和52年)に、『朝鮮人慰安婦と日本人』を出版。第二次世界大戦中に日本軍人が朝鮮の女性を強制連行し慰安婦にしたなどと証言。
朝日新聞・しんぶん赤旗などで自身の「戦争犯罪」の告白を展開。韓国にも赴き、講演と謝罪を繰り返す。
1996年(平成8年)529日付の週刊新潮インタビューで、吉田は「本に真実を書いても何の利益もない。事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか」「人間狩りを行なった場所がどこであるかについては創作を交えた」と認める。1998年(平成10年)に、吉田は秦郁彦(日本の歴史学者。元日本大学法学部教授)との電話会見に応じ「人権屋に利用された私が悪かった」と反省の弁を告白。



捏造された慰安婦問題拡散のきっかけの1つが朝日新聞大誤報 

2012.08.15 07:00

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ここでは誰が慰安婦問題のきっかけの1つとなった朝日新聞の大誤報について解説する。

 * * *

 慰安婦性奴隷説は1983年に吉田清治が『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房刊)という本を出して誕生する。吉田は済州島で日本軍人らを引率し、若い未婚女性や赤ん坊を抱いた母親を連行し、レイプしたという「体験」を語ったのだ。

 だが、『済州新聞』は、現地住民はそのようなことはなかった、吉田は嘘をついていると語っていると1989814日同紙に書いている。

 この吉田の証言から8年後、1991811日、朝日新聞が大誤報をして、第1次慰安婦騒ぎが始まる。「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀 重い口開く」という大見出しを付けた記事は〈日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」が聞き取り作業を始めた〉というリードが付けられていた。

「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」と書いている点が吉田証言に乗っかった悪意を持つ誤報だった。なぜなら、名乗りを上げた元慰安婦、金学順さんは「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」てはいないからだ。彼女は貧しさのため母親に40円でキーセン(妓生。朝鮮半島の芸妓・娼婦を指す)として売られたと訴状などで明言しているのだ。今現在まで朝日新聞はこの誤報を訂正していない。

  19921月に訪韓した宮沢首相は盧泰愚大統領に8回謝った。私は同年2月、外務省北東アジア課の幹部に、首相は権力による強制連行を認め謝罪したのか、貧困による人身売買の被害に対して謝罪したのかと質問したところ、これから調べるという驚くべき回答を得た。以上のような内容を私は同年4月号の月刊『文藝春秋』に書いた。

  私の論稿が出た直後、現代史学者の秦郁彦先生が吉田証言について現地調査を行ない、先に引用した済州新聞の記事などを発見して吉田証言も嘘であることを暴いた。金学順さん以外の名乗り出た元慰安婦の証言についても、ソウル大学名誉教授の安秉直先生が学術的な調査を行ない、権力による連行は証明できないという結論を出した。

  日本政府は19921月以降、過去の公文書を徹底的に調査したが、女子挺身隊制度と慰安婦は全く別物であり、慰安婦を権力によって連行したことを示す文書は1つも出てこなかった。以上のように、第1次論争で実は事実関係については決着がついていた。
※SAPIO201282229日号



「従軍慰安婦=性奴隷」説を世界中に広めたのは日本人弁護士

2012.08.25 16:00

(略)
ここでは捏造された慰安婦問題を世界中に拡散させた日本人弁護士のロビー活動について解説する。

 * * *

 2006年に安倍晋三内閣が発足するや、米議会が慰安婦は性奴隷であり日本政府は公式謝罪と補償をせよという決議を通そうとした。安倍首相が国会で国内での論争の成果に立って、権力による慰安婦連行は証明されていないと答弁したことに対して、米国メディアが激しく非難し、日米関係がおかしくなりかかるということが起きた。その背景には反日日本人らが慰安婦性奴隷説を国連に持ち込み、国際的に嘘を拡散させていたということがあった。

 日本人の戸塚悦朗弁護士こそが「慰安婦=性奴隷」という国際謀略の発案者だった。戸塚は自分のその発案について次のように自慢げに書いている(『戦争と性』第2520065月)。

〈筆者は、19922月国連人権委員会で、朝鮮・韓国人の戦時強制連行問題と「従軍慰安婦」問題をNGO「国際教育開発(IED)」の代表として初めて提起し、日本政府に責任を取るよう求め、国連の対応をも要請した〉

〈それまで「従軍慰安婦」問題に関する国際法上の検討がなされていなかったため、これをどのように評価するか新たに検討せざるをえなかった。結局、筆者は日本帝国軍の「性奴隷」(sex slave)と規定した

 この規定が国際社会での反日謀略のスタートだった。日本人が国連まで行って、事実に反する自国誹謗を続けるのだから、多くの国の外交官が謀略に巻き込まれるのは容易だった。

 彼の国連ロビー活動は、1992年から1995年の4年間で海外渡航18回、うち訪欧14回、訪米2回、訪朝1回、訪中1回と執拗に繰り返された。戸塚弁護士らの異常な活動の結果、1996年に彼の性奴隷説が国連公式文書に採用された。
※SAPIO201282229日号







2012年8月23日木曜日

慰安婦問題の発端は福島瑞穂と朝日新聞


「慰安婦問題、発端は『一部全国紙』の事実に反する報道」読売新聞



慰安婦問題、誤解広げたのは宮沢内閣の河野談話


 いわゆる従軍慰安婦問題が日韓の論議となる背景には、宮沢内閣当時の1993年の河野洋平官房長官談話が、日本の官憲による強制連行があったかのような印象を与えた問題がある。

 慰安婦問題が日韓の政治・外交問題化したのは、一部全国紙90年代初頭、戦時勤労動員だった「女子挺身隊」について、日本政府による慰安婦狩りだったと全く事実に反する報道をしたことが発端となった。韓国世論が硬化する中、政府は資料の調査と関係者からの聞き取りを行い、宮沢内閣の加藤紘一官房長官(当時)が92年、旧軍が慰安婦募集などに関与していたとする調査結果を発表した。しかし、強制連行の裏付けとなる資料は見つからなかった。

 韓国側の批判はなお収まらなかったため、宮沢内閣は翌93年、慰安婦の募集について「官憲等が直接これに加担したこともあった」などとし、「おわびと反省」を表明する河野談話を発表した。韓国側に配慮し、あいまいな表現で政治決着を図る狙いがあったが、逆に強制連行があったという誤解を内外に広げる結果につながった。

 談話作成にかかわった石原信雄元官房副長官は後に「強制連行を立証する資料はなく、慰安婦の証言をもとに総合判断として強制があったということになった」と証言した。安倍内閣当時の2007年には「政府が発見した資料の中に、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」とする政府答弁書を閣議決定している。

20128212226  読売新聞)



軍の強制連行の証拠ない 慰安婦問題についての社民党・辻元衆院議員への答弁書閣議決定 

2007.03.16
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1174017051/ 

 政府は16日午前の閣議で、従軍慰安婦問題への旧日本軍の関与を認め謝罪した
1993年の「河野洋平官房長官談話」に関連し「政府が発見した資料の中には、
軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」とする答弁書
を決定した。
 社民党の辻元清美衆院議員の質問主意書に対する答弁書。安倍晋三首相の「当初、
定義されていた強制性を裏付ける証拠はなかったのは事実」とのこれまでの発言を
追認した形だ。

 答弁書は、慰安婦募集の「強制性」について、談話発表に先立つ91年12月から
93年8月までに政府として関係資料の調査や関係者の聞き取りを行ったとしている。
 また同談話に関して「閣議決定はされていないが、歴代内閣が継承しているものだ」
と強調する一方で、今後もその内容を閣議決定する方針はないとしている。

 河野談話でも、日本軍による「強制連行」との表現は使われていない。 

ソース(共同通信http://www.47news.jp/CN/200703/CN2007031601000285.html




慰安婦問題の「主犯」は福島瑞穂弁護士 

20120817 01:15  池田信夫blog

竹島問題が慰安婦問題を再燃させ、なぜか尖閣諸島まで飛び火しているが、愛国心に燃える前にまず基本的な事実関係を理解しておいたほうがいい。本書は先週のニコ生にも出演してもらった西岡力氏の解説である。

慰安婦問題の特異性は、日本人が創作した話だということだ。ふつう「私が犯罪者だ」と嘘をつく人はいないが、奇妙なことに戦争についてはそういう「詐話師」がいる。この問題の発端となった吉田清治がその最たるもので、彼の『私の戦争犯罪』には、済州島で「慰安婦狩り」をした様子が詳細に書かれているが、なんとすべて嘘なのだ。本人ものちに「フィクションだ」と認めた。

ところが吉田の話に目をつけて日本政府を相手に訴訟を起こそうとしたのが、福島瑞穂氏や高木健一氏などの弁護士で、彼らは韓国に渡って原告になる元慰安婦を募集した。そこで見つけたのが金学順で、彼女はNHKにも出演して「親に売られてキーセンになり、義父に連れられて日本軍の慰安所に行った」と証言した。この話をNHKに売り込んできたのが福島氏で、彼女はスタジオに立ち会って金にせりふを教えていた。目的は、軍票(敗戦で無効になった)で支払われた給与の賠償だった。

しかし朝日新聞の植村記者がこれを(吉田のストーリーにそって)「女子挺身隊として強制連行された」と誤って報じたため、福島氏らは訴状を「軍に連行された」と書き換えた(だから彼女は「強制連行」が嘘であることを知っているはずだ)。その原告団長は植村記者の義母だったが、のちに裁判費用を詐取したとして逮捕され、行方をくらました。

要するに戦争をネタにもうけようとたくらんだ旧軍人が「軍の性奴隷」という猟奇的な話をでっち上げ、それを政治的に利用しようとした日本の弁護士が韓国人をけしかけ、朝日新聞がそれに乗せられたという構図だ。したがって主犯は福島氏で、朝日は問題を拡大した共犯である。

この騒動で福島氏は「人権派弁護士」としてマスコミにデビューし、国会議員にもなったが、彼女のおかげで日韓関係はめちゃくちゃになった。今回の慰安婦騒動に彼女が沈黙を守っているのは、ここまで嘘がばれてしまうと取り繕いようがないからだろう。朝日新聞とともに彼女にも説明責任がある。国会で説明すべきだ。





Taboo of Koreans resident in Japan



在日韓国朝鮮人のタブー「朝鮮進駐軍」

Taboo of Koreans resident in Japan(動画 英文)


Korean Occupation Forces 
Soon after Japan was defeated in WWII, Korean residents in Japan referred to themselves as being part of the Korean Occupation Forces, even though there was never any battle between Japan and Korea, and they committed all kind of atrocities such as rapes, violence, plunders, sudden assaults on police stations and illegal occupancy of Japanese property. There were outbreaks of similar acts in Korea.

2,000 members of the so-called Korean Occupation Forces attacked the Prime Ministers official residence in 1946. They were fully armed when they broke in. Japanese police requested help from the U.S. army, as the Japanese police were prohibited to possess guns at the time. Intense crossfire took place. Attacks on police officers were not rare occurrences at the time; for example during the Tomizaka Police attack, Koreans attacked police officers in order to break out prisoners. During the Shibuya Police office incident a policeman was killed. At the Taira incident a siege was conducted outside the police station. 
30,000 Koreans stole impounded Japanese army uniforms and arms, before committing violent acts in most major cities, killing Japanese citizen indiscriminately. According to GHQ record, more than 4,000 Japanese were slain. 

Without effective law and order after WWII Korean Forces acted violently. They fluently pillaged harvests, livestock, goods wagons, supermarkets and public storage utilities, stealing the goods and selling them on the black market for great profit as food and goods shortages were common at the time. They picked fights with passersby, skipped on restaurant bills, and committed rapes in broad daylight. The ordinary residents were seized with fear. 

Without firearms police were sometimes unable to prevent offences. Perpetrators would say, We are the victorious nation. The defeated nation cannot do anything to us! and use violence on the policemen. One policeman who issued a warning was ganged up on by many Koreans, stripped and violated by having a nightstick inserted into his anus. 

Koreans mainly controlled Ginza, Asakusa and Shinjuku. Taiwanese mainly controlled Shinbashi and Shibuya. The Government and police were distressed but struggled to act because of extraterritoriality. The US army was officially allowed to take goods from any store. Many luxury stores such as Shirakiya, a chain department store, and Seiko, a watch company, were victims. Koreans took advantage of the situation, claiming We are victorious nation. We are Korean Occupation Forces; accruing much money from steeling goods and selling them on the black market. 

Only woman, children and old people were left in town as most Japanese men were on the battlefield at the time. Therefore the Koreans did whatever they wanted. They took the best commercial districts in town through surprise attack. Needless to say, they raped the woman who lived there, banishing them and occupying their land. When the Japanese began to take a dislike to them, then changed their names to Japanese ones in order to deny their origin.

For these reasons, they could occupy the most affluent areas and public places, setting up pachinko parlors, pubs and brothels in front of major public transport stations, registering the occupied property in their names. 

Today 80% of pachinko parlors are Korean owned. It is said that the pachinko industry is worth three million yen annually, larger than the car industry. Owners often evade tax and send the money to the North Korea illegally. This is inexpedient for Japan. In fact, Kim Yong-il said We have nothing to worry about as long as pachinko parlors are in Japan. The reason why owners could behave like this and still do is because the police and politicians are bribed. 

By 1950, martial law was finally proclaimed as the Koreans violence escalated extensively throughout Japan. The excuse they claimed was that General Douglas MacArthur closed down Korean organizations and schools when the GHQ left Japan. This wide-scale riot was not recorded in Japanese history. Even though martial law was declared, some Japanese were still murdered. The scene was similar to a battlefield in Tochigi or Asakusa. 

However, these events are recorded in Korean school text books. They promote this as a great victory against the Japanese in protesting against racism and protecting Korean schools. 

Douglas MacArthur said Korea is not a victorious nation, just a third party (Sangokujin). Although Korean resident in Japan often claim Sangokujin is a racist phrase, it is not racist at all. In fact, most Japanese believe that Sangokujin is not an appropriate word for them. 

The Korean Occupation Forces created the Yakuza and Chongryon, the General Association of Korean Residents in Japan, as the manager or controller of Korean organizations. Some members have entered politics under the communist party. 

After GHQ left, the Koreans allied themselves with communism and forged history using money and intimidation over the Japanese mass media. They spread propaganda such as, we were forcibly taken. Our land was robbed by Japanese. We have been discriminated against. For this reason, the young Japanese generations, who are unaware of the Korean Occupation Force, have begun to have misplaced feelings of guilt for them. 

A lot of Koreans have successfully infiltrated TV and newspaper companies. The pachinko industry pays large sums of money to TV Company for favorable publicity. Today, the Japanese mass media is not trustworthy, but the facts can be uncovered through research.